明日ということ

 明日のことを考えるにしても、明日も頑張ろうという人、明日もなるようになるさという人、どうせ明日もダメだろうという人、何気ない明日に対する態度も人によってずいぶん違うものです。こういった態度は性格というよりも思考の習慣であり、自分で選んでいるものであり、その選択によってそれぞれの明日を作り出しているものです。そして自分が思い描いているような明日になるものです。


 私は今日までに、どれだけの明日を迎えてきたのか数えたこともありません。いつも目が覚めれば自動的に明日を迎えています。明日が今日になり昨日になり過去となり、また新しい明日を迎えるわけですが、どれだけひとつひとつの明日を大切に迎えているのか反省させられます。一年の区切りは大切にするのに、一日の区切りを疎かにしてしまえば、結局一年も十年も同じように疎かにしていることになります。


 限られた命をどのように生きるのか、生きるスタイルはそれぞれだと思いますが、どのような気持ちで明日を迎えるのかは誰にとっても大切なことです。一日の大切さというものは、ゼンマイ仕掛けの時計と同じように、少しずつゆるんでくるものですから、定期的に気持ちをあたらめてあげなければなりません。心のねじを巻いて明日も頑張りたいものです。




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