悟りとは

 バブル期の若者はよく働きよく遊ぶのが一般的だったと思います。人生を謳歌し消費を牽引していました。現在の若者は悟り世代と呼ばれあまり欲はなく、お金を稼いで消費を楽しみたいという気持ちが薄れているようです。仏教的には欲がないことは良いことです。ですが、最初から欲が欠けているのではなく、欲に翻弄されながらも経験から欲の愚かさを学び、欲から離れて生きられるようになるのが本来の道だと思うのです。欲や苦悩がないのではなく、欲や苦悩を克服するのが仏道です。


 生きるということを、どのように考えるべきでしょうか。人により生きることは喜びであると考える人もいれば、生きることは苦しみであると考える人もいます。喜びといった場合には2種あり、ひとつは享楽的な喜びであり、もうひとつは感謝の喜びです。享楽的な喜びとは消費することで得られるような喜びです。感謝の喜びとは家族や健康など日々おだやかに暮らせることへの喜びです。享楽的な喜びを感謝の喜びへと変換していかなければなりません。


 生きることを苦しみと考える人もいます。ですが、多くの場合には絶望しているのではなく、喜びを得たいと思いながらも、その獲得方法がよく分からないか、もしくは喜びに気づいていないのではないかと思うのです。そして喜びを得られない日々が続くとだんだんと無気力・無感動に陥っていきます。悟り世代といわれる若者は感謝の喜びを持って悟っているのか、それとも無気力・無感動のなかで暮しているのかを考えなければなりません。


 私は何事も経験だと思っています。欲に翻弄されるからこそ、欲の愚かさや恐ろしさが分かります。最初から満たされているよりも、不足に苦しむからこそ満たされた時の喜びが大きくなります。現状によって人を判断する必要はありません。その人が現状のなかで何を考え何を求めているのか。現状に埋没することなく、あがきながらも進もうとする姿勢こそが大切なのではないかと思うのです。




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