主義・主張は違えども

 観音巡礼の先達を経験させていただきました。観音様にとって衆生(人間)は皆子供のような存在です。人類皆兄弟とも言いますが、なかには悪いことをする兄がいて意地悪な妹もいるものですが、観音様から見れば同じように可愛い子供なのです。功徳を積む子供には泣いて喜び、悪行を犯す子供には泣いて悲しみ、けして区別することなく同じようにも守ってくださいます。その姿は母親のような存在であり、そのため観音様は女性のようなお姿で表現されます。


 観音様ばかりではなく私達もこの地球で生きるすべての人間を兄弟のように考えることができれば、この世界は平和になり戦争も貧困もなくなることでしょう。ところが、人類の歴史から戦争や貧困がなくなったことがありません。誰もが願う平和への道順が分かっているのに実現されることなく、逆に平和のために戦争がおこなわれ、繁栄のために貧困が生まれる現実を見せつけられます。


 この世界は矛盾に満ちており、人間が人間である限り社会の矛盾は解決されないのかもしれません。この世界がひとつになることもないのかもしれません。仏教には曼荼羅というものがあります。仏様の世界を表現した仏教絵画なのですが、仏様のグループ毎に描かれています。けしてひとつに帰結されることなく、多様な存在を認めるのが仏教の特徴です。ひとつになることができないのであれば、お互いの多様性を認めればいいのです。お互いに自分の主張を唯一の正解と考えるから争いが生まれるのです。人類皆兄弟という言葉が、名目的に使われるのではなく、お互いに兄弟のように尊重できるようになれば、それぞれの主義・主張が違ったとしても仲良くできるようになるかもしれませんね。




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