客観的な思考と感情的な人情の両立

 平成31年に実施予定の取り組みのため関係者をまわっています。この取り組みは33施設と観光団体や行政との共同事業となるため、細かな調整が必要です。施設毎に意識の違いが大きく、各施設の意識を目標に向けひとつにしていくことが何より難しいものです。事情が異なる各施設に同等の協力をしてもらうためには、何より会話が必要だと思っています。まず会話によって諸事情を聞きながら、そのうえで事業の目的や意義を説明しています。


 先日、伺った施設では本題に入るまでが大変でした。現代仏教や僧侶に対して思うところがたくさんあり、その批判や不満の矛先となってしまいました。相手の言葉に対して理屈で対応することもできれば、そもそも私に言っても何も変わらないと伝えることもできました。しかし、そういった選択はせず、ただ話を聞くことにしました。おそらく相手も自分が言っていることが理屈に合っていないことも、言うべきではない相手に言っていることも理解しているはずです。しかし、分かっていてもなお言いたかったことであるならば、拒絶するのではなく聞くしかないと思いました。


 言葉で相手を負かしてやったと喜ぶ人がいますが、そもそも会話とは相互理解のためにあり、勝負するためにあるわけではありません。日常会話の多くは理屈や道理は抜きにして、お互いに心を軽くしたり、楽しい時間を過ごすためのものだと思います。いつも愚痴や悪口ばかりでは困りますが、時には黙って聞くことで相手の心が楽になることもあると思います。私達には客観的な思考と感情的な人情の両立が必要であり、必要に応じて使い分けなければなりません。



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