施無畏印から考えること

 仏様が結ぶ手の形を印といい、施無畏印という形があります。この施無畏印とは、「畏」はおそれという意味があり、おそれがないことを施すということで、人々に恐れることはありませんよ安心してくださいと伝えるメッセージです。寺院に参拝すると不思議と心が落ち着きますが、仏様の手の形ひとつを取っても私達を癒してくれる訳です。こういったことを知って参拝すると、今まで以上に仏教の魅力を感じられるのではないでしょうか。


 日々の生活においては恐怖というスパイスが必要なこともあります。子供は父親に怒られるのが怖いと思うからこそ、怒られないように自分を律することができます。上司が怖いと思うからこそ、ミスをしないように頑張ることができます。人間は恐怖心がなくなると自堕落になってしまいます。昔は神仏への畏敬がかえって人々の生活を豊かなものにしていました。誰が見ていなくても神仏がご覧になっていると思えば悪いことはできません。


 誰しも怒られたくないと思うのが本音であります。ですが、怒られない生活を望めば、楽かもしれませんが成長することができません。人間は失敗して怒られて一人前になっていきます。怒ってくれる人はありがたい存在であり、そういう人がいないとすれば見放されているということです。生活には不安、恐怖、不信、嫉妬など様々な負の感情も伴います。そういった感情から逃れようとするほど大きくなり追ってくるものです。そうではなく上手に折り合いをつけ、さらにはマイナスをプラスに昇華させようとする試みも大切です。マイナスの感情たちは今の自分に必要なものを教えてくれているのですから。




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