心が折れてしまった時に

 心が折れてしまう状態は自分に失望した時か、まわりに失望した時かのどちらかです。それまでいかに頑張っていても、心が折れてしまうと無気力となり、何もする気にならなくなり、その状態が定着するようになります。どうして今まで頑張っていたのか理解できなくなり、何をしても無意味だと八方塞がりの思考に陥ってしまいます。そうなると簡単には抜け出せなくなってしまいます。気持ちを立て直すのは意外に難しいものなのです。


 そんな時は焦ることなく転機を待つしかありません。もちろん、転機とはただ待っているだけでは訪れませんから、求めなければなりません。ほんの些細な変化を転機と捉えられるかどうかなのです。子供が喧嘩をした時に、先生がお互いにあやまりなさいと指導します。先生に言われればあやまりますが、それからまた仲良くなれるかが大事なのです。先生の指導という転機があり、その転機を活かして仲直りできるのかどうかなのです。


 大人になれば子供よりもさらに複雑な世界で生きています。複雑にしているのは自分自身なのですが、それに気づかずプライド、偏見、打算、思惑など、面倒なものを抱え込んでは転機を活かせず立ち直るきっかけを見失ってしまいます。自分にも相手にも素直になれば、すぐに転機はやってくるに、素直になれず底なし沼に沈んでしまいます。立ち直れるかどうかは、自分次第なのです。まわりからの助力があっても、それをつかもうとしなければ意味がありません。いつまでも強情でいると、まわりは去ってしまいます。助けてもらえるうちに、助けてもらわなければなりませんし、助けてもらえる人間関係を築いておくことも大切ではないかと思います。


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