落とし穴

 誰もが順風満帆な人生を求めながらも、現実は思うようにいかないものです。特に順調だと思ったときほど、些細なことから転落してしまうことがあります。あたかも落とし穴に落ちてしまったような状況ではないかと思います。10メートル先の落とし穴に落ちる人はいません。落とし穴は必ず足下にあり、その穴が見えないからこそ落ちてしまうものです。


 日の生活は慢心・油断との戦いでもあります。逆境にあるときは必死なのですが、順調なときほど知らず知らず慢心・油断が生まれてしまうものです。あまりにも調子がいいとかえって怖くなると言う人がいますが、まさにその通りで高くのぼるほど、落ちてしまったときの衝撃は大きいものです。そして高くのぼるほど落ちやすくもなってしまうのです。


 脚下照顧という言葉もありますが、最も大切でありながら、最も見えないのが足下なのです。相手の足下は見えやすいのに、自分の足下はなかなか見えないものなのです。慢心・油断することなく、つねに気を引き締めていなければなりません。調子が良くなると、最初はまわりへの感謝の気持ちがありますが、次第に自分を過大評価するようになり、何でも一人でできるような錯覚に囚われてしまいます。まわりの声が届かなくなり、無理をしては自分で掘った穴に落ちてしまうのです。墓穴を掘るという言葉が作られるほど、多くの人が落ちているのです。


 体調の管理以上に気持ちの管理は難しいものです。身体は眠れば回復しますし、痛みや熱で異常を教えてくれます。ところが心の変化は気づきにくいものです。慢心・油断ばかりではなく、不信や憎悪そしてストレスなどいつの間にか増幅しているものです。そういった変化が落とし穴となり逆境へと誘うのです。心を配り足下に注意しながら、何事も堅実に歩んでいきたいものです。



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