便利で不幸な時代

 最近、簡単な調べ物はネットでおこないます。昔であれば辞書や本をあさり調べたものですが、今では簡単に目的の知識を獲得することができます。ところが、簡単に得た知識は簡単に失われてしまうものです。また、喜びもありません。たとえば辞書ならばアンダーラインや書き込みがあり、めくる部分が黒くなっていくほど愛着がわきました。何年となく使い続け捨てることがなかなかできません。手に取るならば受験や学校生活などを懐かしく思い出すことができます。


 簡単便利が時代のキーワードになっていますが、それは苦労する機会がなくなってきているということでもあります。私は苦労と感謝は表裏一体だと思っています。苦労して報われるところに喜びが生まれ、その喜びが感謝につながっていくのです。苦労のない喜びは偽物であり、感謝の心は生まれないものです。感謝の心が失われているといわれるのは、良い意味での苦労ができなくなっているからなのです。 


 たとえば昔であれば水汲みは子供の仕事でした。大変な仕事ですが、帰れば家族から感謝され、自分が家族に貢献しているという気持ちになれました。また、自分ばかりではなく家族みんながそれぞれに働いているからこそ暮らしが成り立っていると、家族への感謝の気持ちも芽生えたのではないかと思います。傍観者ではなく、自分も仕事を持っているからこそ、仕事の大変さがわかりまわりの仕事にも感謝できるのです。


 精神的な苦労は自虐的になりやすく、まわりへの感謝にはつながりにくいものです。どちらかといえば生活での苦労、さらにいえば一緒の苦労が大切なのではないかと思います。家族でキャンプなどに行くとみんなで準備や片付けをします。キャンプに行ったら家族の絆が深まったと聞いたことがありますが、それはみんなで苦労を共有するからなのです。便利な時代に流されてしまうと、喜びや感謝を見失ってしまいます。苦労と喜びを共有し感謝の心で暮らしたいものです。


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