最初で最後の一歩

 一流の料理人ほど毎日自分の包丁を磨いでいるそうです。そのため、だんだんと包丁は小さくなっていきますが、自らの魂として大切に使っているそうです。毎日が本番であり勝負という意識があるからこそ、磨ぐことも欠かさないのでしょう。包丁を磨いだ数だけ料理人として向上していくのかもしれません。週に一度、月に一度しか磨いでいない人と比べれば、料理に対する意識がまるで違うのです。その差が料理にも大きく影響してくるのでしょう。 


 私達の心も錆びついた包丁のようになっては活力が失われてしまいます。毎日のケアが大切なのです。人によって心の輝き方も違ってきます。鋭く光っている人、和やかに光っている人、深く豊かに光っている人など様々です。自分に合った心の作り方や磨き方があるのではないかと思っています。心とは勝手に存在しているものではなく、自分が丹精を込めて育てていかなければならないものなのです。


 子供の心は素直であると同時に未熟でもあります。たとえば予防接種の注射は痛いものですが必要なものです。ですが、子供にいくら必要性を説いても注射の恐怖を克服できるものではありません。子供は「したいこと・したくないこと」と「しなければならないこと・してはならないこと」を天秤にかけると前者を優先してしまいます。そのため18歳までは様々な制約があり、親や社会によって強制的に管理されている一面があります。


 20歳を過ぎれば大人として扱われるようになりますが、どこまで「しなければならないこと・してはならないこと」を優先できるかといえば、子供とあまり変わらないのかもしれません。毎日を本番と考え「今日の勝負にすべてをかける」という意識はなかなか持てないものです。何となく日々を過ごし10年が過ぎ時の早さを実感するというのが正直なところです。私達には今日一日を精一杯に生きることしかできません。いかに過去を悔いても、いかに未来に希望を抱いても、今日を大切にできなければ意味がありません。今日という日に踏み出した一歩を大切にしたいものです。


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