折れそうな心

 ずいぶん昔の話題になってしまいますが、今年の高校野球で我が県代表チームは善戦してくれました。逆転劇も多く緊迫した試合を楽しむことができました。ランナーが1人出るだけでもチャンスとなりピンチとなり、気の抜けない試合展開は見ているものさえ緊張させてくれました。甲子園の魅力のひとつは負ければ終わりということです。次ぎもなく言い訳もできず負ければ終わりです。だからこそ、どのチームも必死ですし、私達も魅了されるのでしょう。


 私のお寺では写経体験をしています。書道は何枚と練習を重ね1枚の完成を目指しますが、写経は毎回が本番です。練習というものはなく、書き直しも途中でやめることもできません。リセットになれている現代人は、気に入らないと少し失敗するとやり直したくなります。気持ちが途中で折れてしまい、そこから立て直すことが難しいのです。図太い人が少なくなり、芯の細い人が増えてきたように感じられます。簡単に気持ちが折れてしまうのです。その脆さは克服しなければならない課題でもあります。



 「あきらめるな、くじけるな」という言葉を聞かなくなりました。「ダメならダメでしょうがない、無理する必要はない」という風潮が蔓延しています。子供の頃からそういう気持ちで生きていれば、強い心は育たないものです。日々の生活は練習ではなくつねに本番であり、やり直しもきかないと思って臨むことで、強い心が育っていくのです。折れそうな心を必死に支えているうちに、折れない心になっていくのです。



 私達の生活は「もうダメだ、いやもう少し」の連続です。いつも簡単にあきらめていると、癖がついてしまい踏ん張ることができなくなってしまいます。成功している人は成功するまであきらめなかった人です。才能や運よりも、あきらめない強い心が道を開いてくれるのです。大人になっても「もうやめた」とか「めんどくさい」を口癖にしていると、大人しての責任を果たせる人間にはなれません。何事もあきらめず、粘り強く取り組みたいものです。


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