惰性に流されて

 忙しかった日々が一段落し少しばかりダラダラ気味のこの頃です。しなければならないことは山とあるはずなのですが、緊急のものでもなく忙しかった自分へのご褒美とばかりにのんびりしています。ところが、時間が空いたときの、時間の使い方こそ大切なのです。忙しいときは目の前の仕事をこなすだけで精一杯になってしまいます。時間の空いたときにこそ普段できないことをおこなうべきなのです。



 心のリフレッシュ、読みたかった本を読む、新しい企画の模索、人間関係のケアなど忙しいときにはできないことができるチャンスなのです。そのチャンスをつかむことが心の充足や今後の展望へとつながっていくのです。やはり目的意識が欠かせません。「何をすべきなのか」、「何のためにするのか」、「今の自分に必要なものは足りないものは」と考える習慣が必要ではないかと思うのです。



 惰性に流されていると楽なものです。目の前のことを、それなりにこなせばいいだけなのですから。いわば考える必要がないのです。考えなければ不安や苦悩から逃れることができます。ですが、自分の不安や苦悩と向き合うからこそ、それを克服しようとするものです。危機感があり、具体的な展望があり、失敗や挫折があり、反省と成功があり、これを繰り返していくことによって人は成長していくことができるのです。 


 私は各年代ごとに課題が用意されていると思っています。積み木は下から順に丁寧に積んでいかないと高く積むことはできません。土台こそ重要なのです。人間も土台の部分こそ重要なのですが、完成させるのが難しいものなのです。今の自分の課題を明確にし、苦手意識を克服しなければなりません。苦手なものを克服するためには得意なことの数倍の意識と努力が必要になりますが、それによって土台がしっかりしてくるのです。また、目標や師を持つことも大きな手助けとなります。70代になればいくらでものんびりできる。今は走るべき時と思い先を急ぎたいものです。



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