花の美しさに思う

 私のお寺ではシャクナゲという花を植えています。5月から6月にかけては美しい大輪の花を咲かせます。そんな花を見て思うことは、花には自己主張がなくただ静かに咲いていることが魅力ではないかと思います。花を咲かせることの苦労や花を見てほしいという宣伝は管理者である人間はしますが、花は何も語らずにただ咲いています。まわりの花と美醜や優劣を競うこともなく、ご縁がありいただいた命を懸命に生きています。花に限らず人間は自然に触れることで癒やされますが、それは我執なき懸命さに心打たれるからなのかもしれません。
 
 自然界の一員である人間も本来は美醜も優劣もなく、それぞれにかけがえのない命を授かっている存在です。ところが、他の動植物とは異なり、まわりの人間と比較しては一喜一憂する習慣があります。比較しなくともいいことを比較するがために人間は迷い苦しんでしまうのです。比較することから優越感や劣等感が生まれ、差別や偏見がはじまります。自分らしく生きたいと思いながらも、他と比較してしまい、そして他と比較され、比較のなかで自分という存在をつかもうとします。比較の対象となるのは、容姿・性格・学歴・職業・収入など人間としての表面的なことであり、そういった表面的なものに囚われてしまうと、大切なことを見失い自分らしく生きることができなくなってしまいます。
 
 尊い命をいただき今日一日を自分らしく懸命に生きていれば、それだけで十分なのです。ことさらに他と比較する必要はないのです。花はまわりの花々と美醜や優劣を比べることなく、ただ懸命に咲いています。私達もかくあるべきなのです。まわりとの比較をやめたところに、おだやかな生活があり、そして自分なりの生き方があるのです。比較や競争に埋もれているうちは心が定まりません。比較という物差しを捨てたところに、「私らしく」という生き方の転換ができるのです。まわりに左右されない自分なりの道を歩んでいきたいものです。
 

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