新しくオープンした施設に行ったのですが、フラットな入口で靴を脱ぐべきか迷いました。近くに「靴のままお入りください」とあったため安心して靴を履いたまま入場したのですが、そこから段差のある休憩スペースに入ろうとしたときに、また靴を脱ぐべきか迷いました。案内も靴箱もなかったので靴のまま進んだら今度は土足厳禁だと店員さんに言われてしまいました。私の次に来た人も同じように靴のままあがってきてしまいました。それを見ての安心感と中途半端な案内への不信感が生まれました。
日常の会話においても省略して話すことが多くあります。親しい関係ほど相手も分かっていると思うため「あのこと」とか「そこの」と主語も述語もない言葉として成り立たない言葉で会話をしているものです。それで通じるならいいのですが、限られた範囲を超えた人には伝わらないものです。どの集団にも独自のルールや暗黙了解があります。ですが、他所の人には分からないものです。分からない人に説明もなく独自のルールを押し付けようとすればトラブルが起こるのはしかたありません。
閉鎖的な集団ほど自分達のルールを説明もしないのに理解できない人を攻撃するものです。「そんなことも分からないのか」と怒られても、それが世間一般に通じる常識とは限りません。伝える努力や理解してもらうまでの忍耐は大切です。意思の疎通とは配慮だと思うのです。相手の立場になって考えてみるということができないと、相手を理解することはできません。一方的に押し付けられたものを拒むのが人情というものです。配慮を感じて、はじめて人は心を開いて理解してくれるのではないでしょうか。