天から愛される

 長く良い仕事を継続していくためには、自らの限界を超えていく自助努力はもちろん必要なのですが、それだけでは十分ではありません。必ず同業者があり同じように頑張っているライバルがいるものですし、予期せぬ環境や経済の影響を受けることもあります。誰もが自分の思うような仕事をしたいと思うのですが、そうはいかないのが世の中というものです。


 そういった世の中にあっても順調に仕事をこなしていく人もいます。その特徴は仕事を嫌々しておらずプライドを持って頑張っています。また、誰に対しても謙虚で誠実であり周囲から好かれ協力してもらえる人です。こういう人には自然とチャンスが巡ってくるものですし、必要なものはいつの間にか準備されているものです。努力だけでは超えられない壁を越えていく人なのです。


 運命という言葉を調べると「人間の意思を超えて・・・」という言葉から説明が始まっているようですが、私は運命とは自らが作り出すものだと考えています。その人の努力や人間性など様々な要素が相まって、形となっていくものだと思うのです。昔はそのように運命を切り開いていく人を天から愛された者と表現していましたが、自分の可能性を素直に信じ努力し、ご縁があり関わった人々が自然と味方となってくれる。そういう人には天も味方をするのではないでしょうか。仕事ができる人ではなく、天から愛される者が大事を成していくのでしょう。 

 

ハラスメントの終着駅

 ハラスメントも様々に派生しているようで、次々に新しいハラスメントが登場しています。相手を不愉快な気持ちにさせれば、それはすべてハラスメントとされるようになってきました。もちろん誰もがストレスを感じることなく仕事や私生活を送るのは理想なのですが、現実世界において避けて通ることのできない人間関係では、お互いに不愉快にならない関係を堅持することはできません。


 幼稚園の子供同士でも、長年連れ添った夫婦でも、理解のある上司とでも、100点の人間関係を維持することはできないのです。お互いに体調の悪い時もあれば、機嫌の悪い時もあります。また第三者が介在することで関係が変化することもあります。少しでもストレスや不満を感じればハラスメントと言われてしまえば、誰もが関わることを避けるようになり、人間関係は今以上に希薄になってしまいます。


 メディアも人々の不満に名前をつけハラスメントとして煽ることが、この社会の安全安心につながるのか考えなければなりません。権利意識が強くなると相手を非難することに終始し、相手を許すことや受け流すことができなくなってしまいます。私はすべてお互い様だと考えています。どちらかが一方的に悪いということはありません。自らの非を考えることで、賢く上手な人間関係を築くヒントが見えてくるのかもしれません。

 

仏教の三学

 仏教を志す者は三学を修めなければならないとされます。三学とは戒・定・慧です。戒とは戒律のことで十善戒が一般的です。命を粗末にしない、盗みをしない、人の道に外れない、?をつかない、おかしなことを言わない、悪口を言わない、人を惑わせない、欲に翻弄されない、怒りに翻弄されない、偏見を持たない、この十の戒めを守ることで、安らかに暮らすことができます。


 定とは座禅や瞑想のことです。これによって心をおだやかに保つことができるようになります。ストレス社会にあっては、自分の心をストレスから守るためにも、心を調整できる時間を持つことが求められます。座禅や写経でなくても、ストレス解消ということではなく、心が落ち着く時間を意識して持つことが大切です。


 慧とは智慧のことであり、道理を学ぶことです。人間関係が面倒だから、人と関わらずに生活できるわけではありません。競争するのが嫌だとしても、競争社会で生活していかなければなりません。死ぬのが嫌だといっても、逃れられるものでもありません。自分の願望や都合ではなく、この社会の道理に適った生き方をしなければなりません。悪いことをせず、心をおだやかに保ち、そして道理に適った生き方をすれば、間違いのない人生を歩むことができます。難しいことを学ぶのではなく、大事なことを身につけるのが仏教なのです。

 

心の状態が

 メンタルヘルスといえば、心の病というイメージがあるかもしれません。ですが、私は心を安定させることだと思っています。心が不安定になると仕事や人間関係でイライラし、また疲れやすくなってしまいます。それによって意欲の低下や失敗などがあり、人間関係のトラブルも起こりやすくなります。しかも人間は弱いもので、正直に失敗を認めたり、素直に相手に謝ったりすることが難しいものです。かえって意地を張っては事態を悪化させることもあれば、長期化させてしまうこともあります。


 心が安定してこそ前向きに日々を過ごすことができるのです。マイナスの感情は雑草のように、いつの間にか勝手に芽生えてきては心を占領してしまいます。放置していればストレスやトラブルの原因となり、いつもならば起きないようなことが、起こるようになってしまいます。


 自分の心を安定する状態に整えなければなりません。それは感謝や奉仕などの善き心を育てることです。人に文句ばかり言うのと、感謝するのとでは、心の状態は大きく違ってきます。日々の言動はすべて心の状態から生まれてきます。腸内環境と同じように、日々の心がけが大切だと思うのです。

 

本物のSDGs

 朱印対応で席を離れて戻ってみるとクーラーがついていました。「すみません。暑かったので」ということでした。ただ、その日は推奨されるクーラーの設定温度よりも低い気温の日でした。クーラーに慣れてしまうと、そんなに暑くなくてもつけてしまうようです。旅館などでは、自分の家であればこまめに切るクーラーもつけっぱなしが多いと聞きます。自分の出費にならない場合、人間には多くの無駄が生まれてしまうのかもしれません。


 行政は税金を使うわけですが、効果の乏しい無駄な事業が多いものです。もし自分の財布から出すとすれば、もっと慎重に考えるはずなのですが、自分のお金ではないからこその無駄が横行してしまいます。予算を消化することも業務だと考えるようになります。SDGsとはこの世界のすべてを自分事として責任を持とうとすることではないかと思うのです。名前も知らない国の人々に対しても、自分が存在しない未来の世界に対しても、関係ないということではなく、自分ができることをちゃんとやるということです。


 地球環境や社会が良くなるためには他人事ではなく、自分事として考え行動できる人間を増やしていかなければなりません。無責任な行動が少なくなれば、それだけ負荷が軽減されます。頑張っている人がより頑張るよりも、意識や行動していなかった人が動き始めるほうが効果は大きく意義があります。自分が社会や世界や未来に貢献していると思えることが喜びとなる人が増えればと思うのです。

 

人生まだまたこれから

 私はまだまだこれからだという自分の可能性を信じたり、まだ変わることができると思えることが必要だと思うのです。年齢共に思考や価値観は固定されるようになってきます。ですが、それは年齢や外的な要因ではなく、自身が新しいことを求めようとせず、今の自分に安住しているからなのです。それが最も楽だと思えるのですが、変化のない生活とは停滞しているともいえます。


 思考や価値観が膠着してくると、いつもと同じようなことを考え、同じような言動を繰り返し、同じような感情と結果に陥り、それによって後悔することも多くなるのかもしれません。他人が見れば、いつも同じパターンで苦しんでいるように見えるのに、新しい視点を持たなければ本人は気づくことができないのです。自らの心に新しい流れを作らなければなりません。


 変わろうとすることには大きなエネルギーを必要とします。しかも変わるとは自分のマイナス面を正すことであったり、苦手なことに挑戦することであったりするわけです。しかも短期間で大きく変われるわけではありません。日々の心がけのもと少しずつ、長い道程を歩まなければ成長することはできないのですが、その道こそが人生の本道であり、大きな意義があります。いくつになっても新たなる気持ちで頑張りたいものです。

 

二つの視点

 私は「自分がどのように考えるか」と「相手からどのように思われるか」という二つの視点が大切だと考えています。「自分がどのように考えるか」という視点によって自分の目標や方向性を考えます。ですが、それだけだと自分中心の言動に陥りやすく、人間関係においては円滑に進まないことがあったり、孤立することがあるかもしれません。


 「相手からどのように思われるか」という視点を持つことで、人間関係における共感や協力関係を築いていくことができます。何事においても一方に負担や無理を強いる関係は相手が破綻するものです。自分中心の考えでは相手に負担や不愉快な思いを与えることが多いのです。ですが、相手のことばかりを考えてしまうと、自分の想いを抑圧し自分が無理をしてしまうため、自分が破綻してしまいます。


 自分と相手へのふたつの視点のバランスをとることが重要です。ただ、このふたつの視点は性格的な要素が大きく、「自分がどのように考えるか」は自分をしっかり持っている人、もしくは我儘な人です。「相手からどのように思われるか」は周囲へ配慮できる人、もしくは自分の考えを主張できないか持てない人です。どちらも長短がありますが、それぞれの良い面を併せ持つことでバランスを保つことができます。


 人間の持って生まれたものというものは根強いものです。放置しておくと悪い面が強くなります。日々の言動や心がけを点検し良い方向へと導くことが大切です。また、自分が持ち合わせていなかった徳目を人生のなかで補うことも求められます。誰しも最初からバランスのとれた人間はいません。自分にはないものを獲得し人としてのバランスを保っていくことで人生が豊かで円満になるのではないでしょうか。