苦悩も不安もありがたい

 出勤のない私は新しく始まった朝ドラ「なつぞら」を見ています。昔大ブームとなった「おしん」にも通じるような雰囲気を感じます。舞台となっている戦後間もないころの貧しさと苦しさは経験したことのない私には想像できない世界です。生きるか死ぬかという生活をしていれば5年先10年先のことなど考えることはできません。目の前の現実以外にはなにも存在しない世界なのです。


 平和な時代だからこそ理想であったり未来を考えることができるのです。理想と現実の狭間で苦悩したり、将来への期待や不安に一喜一憂するのも、暮らしている社会が豊かであるからこそであり、贅沢な悩みなのかもしれません。そんな社会に生まれたことに感謝しながら、たとえ苦悩しながらも前向きに生きていきたいものです。生まれてくる時代を選ぶことのできない私達にできることは、自分が生まれた時代を誠実に生きていくことなのです。


 どのような時代であれ賛否両論あるものです。「ゆとり教育」にも賛否がありましたが、他の世代よりも優れた人も多くいます。そういう人は時代に流されることなく、為すべきことを為してきた人々です。今の時代に不満を感じる人が多ければ変わってきますし、今の時代を楽だと思う人が多ければ退廃していきます。時代は移ろうものであり、時代に翻弄されないようにしたいものです。

 

 

感情の転換

 もう一秒たりともこんな会社にいたくない、もう永遠にこんな奴と会いたくないと思うこともあります。しかし、面倒だと思っていた仕事や険悪だった相手から解放されると清々したと思いながらも、少しさびしい気持ちにもなります。もしかしたら自分にとってマイナスでしかないと思っていたことでも、日々の活力になっていたのかもしれないと考えることがあります。今の感情だけで判断すると後悔することもあります。


 けして充実していたわけではない仕事でも退職し家にいるとさびしいものです。それは今まで仕事に向けてきた体力と精神力を向けるものがなくなったからなのです。体力も精神力も使わないと低下していきます。怒りや失望といったマイナスの感情であっても、その力は大きいものです。そのパワーを向ける相手がいなくなると、そのパワーは枯渇してしまいます。ケンカするほど仲が良いともいいますが、ケンカ相手でもあった伴侶がなくなると急にガックリくるのは、今まで向けてきたパワーの行き場がなくなり枯渇してしまうからです。


 仏教に煩悩即菩提という言葉があります。仏教では煩悩を滅することを仏道としますが、煩悩にも大きな力があり、その力を悟りを求める力に転換することを煩悩即菩提といいます。日々の生活においてもマイナスの感情を否定し消滅させようとするよりも、プラスの感情に転換していくことが大切です。ケンカしながらも仲が良いのはマイナスの感情を上回るプラスの感情があるからなのです。上手に自分の感情を転換していきたいものです。

 

 

苦悩の根源にあるもの

 仏教ではこの世界は苦しみに満ちている苦界であると考えます。では、その苦しみはどこから生まれてくるのかといえば、思い通りにならないイライラからやってくるのです。人間は誰しも自分の思い通りにしたいと思うものです。ところが、仕事も家庭も何もかも自分の思い通りにはいかないものです。まるで言うことを聞かない子供にイライラして、業績があがらい不景気にイライラして、なかなか進まない渋滞にもイライラするものです。


 思い通りにならないことを、思い通りにしようとするからイライラして苦しくなるのです。子供も不景気も渋滞も思い通りにならないことを前提にすればイライラも半減します。もし人生すべてが自分の思い通りになるとしたら、おそらく人間は幸福ではなく不幸になると思うのです。思い通りにならないくらいで、ちょうど良いのです。思い通りにならない不自由と向き合うからこそ人は謙虚に努力することができるのです。


 思い通りならない時には相手が悪い運が悪いと嘆くのではなく、まずは気持ちを落ち着けることが肝要です。思い通りにならないことを、思い通りにしようとして苦しんでいると認識します。そのうえで現状をおだやかに受け入れるか、それとも自分が変わるかの選択をします。相手や社会は変えられないからこその二択なのです。思い通りにならないことを理解できると生きることが楽になります。無理することなく、もっとあるがままでも良いと思うのです。

 

 

仏教ブームの終着

 近所のお寺の大般若で法話をさせていただきました。観音巡礼について話したのですが、せっかく御縁をいただいて巡礼するのですから、ただお願いするだけではもったいないと思うのです。大切なことは観音様の慈悲の心をいただくことです。さらに言えば、信仰の対象である観音様に自分が成るという心がけが大切だと思うのです。観音巡礼をしたならば観音様の慈悲の心をいただき、今まで以上に家族や周囲の人に優しくなることが巡礼最大の功徳なのです。


 仏教の特徴は信仰対象である仏様に自分も成れるということです。そのため必要なことは仏様の心を我がものとすることなのです。仏教の教えを知識として学ぶことではなく、仏様の心を学ぶことが大切なのです。仏様と同じような視点に立つことができれば、この世界は浄土となり、すべての人々を等しく慈しむことができます。「親の心子知らず」といいますが、「仏の心我知らず」の状態なのです。仏道とはご利益や極楽を求めるものではなく、仏様の心を求め自らの心を昇華させていくことなのです。


 仏教ブームといわれますが、仏教に知識や癒しを求めてもいいのですが、そこで満足することなく仏様の心を学んでいただきたいと思います。知識ではなく心を学ぶこと、そのためには実践が必要なのです。仏道修行といえば難しく厳しい響きになりますが、日々の生活において親切にしよう優しくしようと想うこと、その想いを少しでも実行しようとすることが仏道なのです。難しい理屈を語るよりも、人の役に立とうとすることのほうが、自分のためになり人にも喜ばれ仏様の御心にも適う生活なのです。

 

 

引き算の人生

 人間は幸福や楽しみを求める足し算で生きている人が多いように感じられます。楽しみや喜びの数を増やし心を埋めていくことが幸福につながるという考えです。美食や旅行や趣味など人生を楽しむことが生きる目的のようになっている風潮があります。ですが仏教では足し算ではなく引き算で生きることを教えています。不要なものを捨てることで幸福になれると考えるのが仏教なのです。


 不用なものとは欲であったり怒りであったり、さらには不信、嫉妬、見栄、執着であったりします。こういった人間を不幸へと誘うものを捨てることで心やすらかに暮らすことができます。幸福とは楽しみのなかにあるのではなく、やすらぎのなかにあるものです。いかに楽しみを求めても、自らの心が不要なもので占拠されていれば、楽しむことなどできません。大切なことは心を安定させることであり、そのためには不要なものを捨てなければなりません。


 心に様々な感情が渦巻き同居している状態は、雑多な調味料が混じりあい味が分からなくなっているようなものです。その状態で次々に味を足していっても混乱するばかりです。いったんすべての味を捨て無色透明にしてから、必要な味だけを足していかなければなりません。今の日本には求め続けることに疲れているのような雰囲気があります。それは心が求めることではなく、捨てることを求めているからなのです。煩わしいものを捨て心おだやかな暮らしたいものです。

 

 

シンプルライフ

 あるテレビの特集で整理できない人はお金が貯まらないといっていました。様々な感情が整理できなければ感情の起伏が激しくなり、冷静に物事を考えることができくなくなります。言葉も思考が雑多に混乱していると適切な会話ができなくなります。部屋も心も家計簿も整理できないと混乱するばかりになります。何事も整理してシンブルでいることが大切なのではないでしょうか。


 非常事態ほど人間は混乱するものです。地震が起こり非難しなければならない時、必要なものがどこにあるのか分からない、必要なものの優先順位が分からないと限られた時間のなかで効率的に非難することはできません。突然、人生の大きな転機が訪れた時にシンプルな思考ができないと、適切な取捨選択ができません。日頃から優先順位を意識していないと大事な時に正しい選択ができなくなるのです。


 人間は有限のなかで生活しています。時間も金銭も限られていますから、やりたいことすべてできるわけではありません。どちらを選ぶのかという選択に迫られます。人は可能ならばどちらも欲しいと思うものです。しかも平時であれば両方を保有することもできます。しかし、いずれかのタイミングで都合の良い状態を離れなければならなくなります。そして愚かな人は両方を失うこともあります。日頃から自分にとって大切なものは何かと問いかけることで、心身ともに整理され心やすらかに暮らすことができます。

 

 

コンビニから日本の将来を考える

 24時間営業のコンビニが営業時間短縮の実証実験をはじめたそうです。便利で快適な生活の象徴であったコンビニの24時間営業ですが、今後どうなるのでしょうか。20年前の地方のコンビニだと深夜12時で閉店する店舗もありました。それがいつの間にか24時間営業に変わりましたが、営業時間は地域の実情に応じれば良いと思うのです。たとえば過疎化で若者がおらず駅や繁華街からも遠い田舎のコンビニで、そもそも夜中に歩いている人もいないのに営業している意味はありません。


 日本は一律ということが好きなようで、なんでもマニュアルで統一してしまいます。今では全国どこに行っても同じ外観、同じ商品、同じ接客というチェーン店があふれていますが、あまり魅力を感じません。地域に応じてとか相手に応じてということがなく、システムで営業する店舗に人情というものが感じられません。たとえ丁寧に接客されても、それはマニュアルに準じているだけで、心から接客しているという確信が持てず人間不信になります。


 これからの日本を考えれば、もっと柔軟な思考と対応が必要だと思うのです。これから単純な作業はAIが担うようになります。そういう時代にあって命令がないと動けないマニュアル人間に居場所はありません。有名なホテルチェーンでは接客マニュアルを破棄し、お客様に応じた接客を心がけているそうです。自分で考える人間を育てるには時間と忍耐が必要ですが、人を育てるということなくして、たとえ一時的な利益があったとしても、日本という国が繁栄することはありません。